下紺屋町

町の歴史

城下町上田の形成花園八幡神社上田獅子絵馬私鉄の開業

上田獅子

上田の街を代表する芸能は、常田と房山の獅子舞である。

房山獅子
城下町形成以前から山口沖の「天王屋敷」という所に付属する獅子踊りがありました。真田昌幸の上田築城の際に常田と共に召されて、地固めの祝に獅子を演舞したことから、以来江戸時代を通して当地の祇園祭の行事に城祭として、常田獅子と共に踊りつづけてきたという伝承を持っています。
これは一人立ちで獅子頭をつけた者三人が一緒に踊る形の獅子舞で、そこへ祢宜(ねぎ)或は中立(なかだち)と呼ぶ者や、少年が扮する小天狗の鉦叩きが付いて踊るものです。
その役割分担は町別となっており、獅子と祢宜は上・下川原柳、笛は上・下房山、唄揚(うたあげ)は新田、警固のうち柳町と紺屋町は行列の先頭に、愛宕町は最後尾につくなどその伝統が守られています。
房山獅子の踊りの仕草は稲刈風の豊年踊りを表わすともいわれて、常田獅子と比べておとなしい動きです。
現在では特別な祭典や慶事があるときだけに行なうようになりましたが、4月下旬の上田さなだ祭に常田獅子と隔年で踊られております。 この際は上田築城にあたって鬼門の守りとして房山村におかれた現下紺屋町の八幡神社にも奉納されます。
昭和43年4月24日に上田市の無形民族文化財に指定されています。

三中奉納

三中奉納

 
三中奉納

房山獅子

 
房山獅子