下紺屋町

町の歴史

城下町上田の形成花園八幡神社上田獅子絵馬私鉄の開業

絵馬

紺屋町の八幡社に掲げられている一対の大絵馬(102cm×160cm)。
滝を背景にしての岩頭の黒鷹(普通の色)と松の枝上の白鷹を、1羽ずつ描いている。2面ともに、金箔を地に押した豪華な作品である。
いずれも表に「奉掛御宝前 貞享五戊辰年五月吉辰」の墨書銘があり、裏面には「絵鷹二枚之内雪舟末葉長谷川等栄信舟筆」とある。
作者長谷川等栄は、その名より、雪舟を画系の祖と仰いだ長谷川等伯の起こした長谷川派の一画家であったとみられる。また『改選仙石家譜』に「(貞享4年10月)二十六日、画工長谷川等栄を招て俸米五拾石五人扶持を与ふ」とあり、仙石家御抱えの絵師であったことが知られる。この絵馬には奉納者名はないが、これより、時の上田藩主仙石政明の奉納と考えて間違いないであろう。また貞享5年(1688)奉納というこの絵馬は、上田小県地方に残る最古の絵馬ではないかともみられ、その点においても貴重資料といえる。
この八幡社は上田城の鬼門(北東)の方角に位置し、その守護神として代々の城主の崇敬があつく、社殿の造営・修理等は藩費でまかなわれている。特に仙石政明は、自らしばしば参拝し、貞享3年には同社(および大宮社も)の玉垣を造らせている(改選仙石家譜)。
昭和60年9月6日に上田市の有形文化財(絵画)に指定されています。

紺屋町の八幡社に掲げられている一対の大絵馬
 
曳馬〈ひきうま〉図の大絵馬

曳馬絵馬

紺屋町の八幡社に掲げられている曳馬〈ひきうま〉図の大絵馬(84cmX136cm)。
享保11年(1726)5月、上田藩松平家家臣である中根次郎右衛門配下の、側組〈そばぐみ〉足軽32人が連名で奉納したものであることが、墨書により知られる。
なお、これは上田小県地方に残る最古の絵馬の一つでもある。